お詫びと訂正_見出し画像

三河雑兵心得の第十巻で、井原は「鉄砲百人組頭=侍大将」と決めつけました。文庫の帯には“次巻『侍大将仁義』”との記述も見えます。

しかし、その後色々と調べた結果「鉄砲百人組頭=侍大将には無理がある」と考えるに至りました。よって第十一巻のタイトルも『百人組頭仁義』となっております。「茂兵衛もいよいよ侍大将か!」と期待された方々、御免なさいです。

後の幕府職制表を眺めると、鉄砲百人組の組頭は、足高三千石となっています。 勘定奉行、江戸町奉行、大目付と同格で、旗本の中ではほぼ最高額の高給取りです。

百挺もの鉄砲を装備する百人組は独立した戦闘単位であり、小荷駄隊を持ち、単独で戦場に投入されました。その指揮官なら、侍大将と呼んでもよさそうです。

ただ、勘定奉行、江戸町奉行、大目付の官位が諸大夫(従五位下)なのに対し、百人組頭は布衣(正六位)で、格が一つ下がります。むしろ、典型的な足軽大将である先手組頭と同格なのです(但し、先手組頭の足高は千五百石で百人組頭の半分しかありません)。

この従五位下と正六位の差は大きく、従五位下への叙爵は「上級貴族への仲間入り」を意味しました。つまり「百人組頭は上級貴族ではない」ということになります。

待遇面では侍大将級だが、身分的には足軽大将と同格。ま、「古株の足軽大将」ぐらいが実相かも知れません。

鉄砲百人組は、当時としては新しい思想の部隊でした。所謂「備」ほどの規模を持たず、それでいて輜重を自ら賄える独立性を有しています。「小規模な備」といったところでしょうか。総大将家康にとって、さぞや「使い勝手のよい部隊」だったはずです。現代の軍隊における「独立大隊(バタリオン)」乃至は「大隊戦術軍(BTG)」に相当すると勝手に考えています。

今後、茂兵衛は独立性の高い強力な鉄砲隊を率いることになります。ただし身分は「古株の足軽大将」程度――この線で執筆を続けさせて頂けると幸甚。諸々宜しくお願い致します。

        

井原忠政